10通目 夕海さんへ
九通目、Yuukaちゃんへ。
4ヶ月も書かなかったのか私は。何をしているんだろうか。
長い間待たせて ごめん。
7月から11月。
夏が秋になって、もう少ししたら冬が来る。
松本の夜は時折2度になることもあると聞きました。
今日の東京はまるで春が始まったかのように暖かくて上着を持たずに外へ飛び出していったけれど、あなたにもらったマフラーは相変わらず付けて、日々居ます。雪の柄が付いているので秋口にはあまりそぐわないのかもしれないが、ぐるりと首に巻くと安心するので、去年も今年も、洋服が変わっても、大体ぐるぐる巻いてあちこちを飛び回っています。
テレビや新聞をみては、怖い、怖い、と肩をすくめていた君を思い出す。去年の今頃よりも今日はもっと世界が傾いているようだね、けれど本当は、ずうっと何もかもは傾きっぱなしで、君は、明日も普通であるだろうかと、夜眠る時に思うと、そう呟いていたけれど、明日も今日も昨日もずっと普通ではなかった人達は絶えないことを、私は、どれだけ忘れないで生きていただろう。と 思う。
私の体は小さくて、自分の幸せや、自分が手を触れられる場所にいる人たちの幸せを、まず先に考える。それ以上の想像力を働かせるには、深呼吸がいる。
自分にとってのこの喜びが、誰かの寂しさや狂おしさに繋がって眩しく疎ましいものであると、想像しては、私は私を潰そうとする。そういう癖がある。
だけど出来る事ならそうではなくて、その、想像した先にいるその人を抱き締めて生きればよいのだと、このごろは思う。
私には、私の背の向こうにあるものが見えない。
永遠に見えない。
しかしその人にも、その人の背の向こうは見えない。
「お前に私の苦しみが分かるか」
同じ台詞を何度突きつけられたことだろう。
私には、私の苦しみしかわからない。
でも、その人が苦しいことが、私には苦しい。
もう少ししたら夜が明けるよ。
熊本はもう寒いの?
9通目 夕海さんへ
八通目、Yuukaちゃんへ。
あっという間にひと月です。
前にお返事をくれたのが5月16日。その後少しして、私はイタリアのトリノへ飛んで、帰って来て、あちこちでまた歌って、今日はもう6月の17日です。
トリノからの葉書が届いたと聞いて、よかった。そのことをメールで聞いてしまうのはもったいないなとも思いましたが、不安なんだよね。ちゃんと自分のメッセージが相手に伝わったかどうかということはいつも誰だって。
君が8通目のこの文通で
「私は時々信じることを忘れてしまうのかもしれない」と書いていたことが、私はとても気になっていました。だから、あえてこのごろは、メールや電話をあまりしないようにしました。
自分も、ボールをたくさん投げるから。
よくわかるのです。
私の心に起きている不安や、寂しさや、そういういろんなことを、あなたは分かってくれているだろうか。と、その相手が自分の心にとって大切な相手であればあるほどに、ひとりでぐるぐると抱え込んで、苦しさのあまりに強く、返事を求めてしまうことが ある。
でも
こんなに大きな世界の中で
私達は出逢えたのだから。
例えばこのまま離ればなれになってしまったとしても
そんなに大きな問題じゃない
のだと 思う。
なかなか難しいことだけれども。
そうは言っても、
もちろんいろんなことはやりましょう。
連絡し合わなくちゃいけないことも、具体的にいっぱいある。
ただ、大きな信頼に関していえば
そう不安にならなくても大丈夫だよ
と いうこと。
簡単に繋がる方法が増えた今だから、特に、例えば君という存在に関して言えば
たくさんの対話をしたいと思う反面
信じて離れることも掴んで欲しいと思っている。
何故私が唄を作るかといえば、それは
私が私の大事な人達を失くした時にそれでも歩けるようにということがひとつ。
もうひとつは、私を強く必要としてくれていた人達が、私なしで歩いていける道具として、もしくは、それぞれの人がそれぞれの大事な人を失くした時、歩けるように
作っている。
失うことを前提に生きることは、前向きじゃないと言われるかもしれない。
でも、それはいつか訪れることだから。
寂しがり屋の私は、大切な人を失う度に
うずくまってしまう弱い自分を知っている。
でも歩き続けなくちゃいけないってことも
知っている。
8通目 夕海さんへ
七通目、Yuukaちゃんへ。
君が送ってくれた津奈木町のみかんのジュースを飲んでいます。
元気ですか?
手紙はもちろん届きました。読みました。
そのお返事を書こうと思って、毎日葉書を手帳に挟んでいるので、メールのお返事は書いていません。
きっと君はとても不安な気持ちで待っているだろうと
それはよく 分かっているから
一番簡単なことはメールであなたが質問を送ってくれた時にそのまま、その時に私が思っていることを文字にして、送ることなのだけれど
それで
いいのだろうか。
待つ というのは いつだってとても不安だ。
ボールを投げる。
返って来ない。
ボールはどこへいったんだろう。と、しばらく待ってみる。
返って来なくて、探しにいく。
見つからなくて日が暮れる。
夜になってしまった。
私は一体、誰とキャッチボールをしていたのだっけ。
何故キャッチボールをしていたのだっけ。
真っ暗な中で 思って
家に帰って
一年か、二年か、経ったある日。
小包が届く。
箱の中には、ボールがひとつ 入っている。
誰かを信じるということは、力がいる。
伝えたいことも、いっぱいある。
でも、けっこう
大丈夫なもんだよ。
ジュース、おいしかったな。
おやすみ。